幕末のマタギたち

伝説の狩人たち

秋田県北部に位置する阿仁。


この地域一帯は、奥羽山脈の深い山々に囲まれた、
歴史ある「マタギの里」として知られている。

マタギは、クマやカモシカを撃つだけの猟師ではない。


川魚や山菜、水でさえも山の神様からの授かりものとして、山の恵みに感謝していただいて生きる人たちをマタギという。


文献上では、およそ200年前からその存在が確認されており、
自然への畏敬の念が、いまもこの地に受け継がれている。

その阿仁の中でも、さらに山深い最奥にあるのが打当集落だ。

かつて30戸ほどの打当では、クマを撃つ者、クマを追う者と役割を分けながら、
集落の男たちのほとんどが熊撃ちに関わってきた。

そして、このマタギの里には、
いまなお語り継がれる名マタギたちがいた。

鈴木英雄さんの祖父・鈴木辰五郎(たつごろう)さんも、そのひとりだ。


辰五郎さんは、72歳で引退するまで、なんと31年間にわたって打当マタギのシカリ(頭領)を務めたという。

さらに、辰五郎さんの曽祖父・永助さんは、秋田藩主・佐竹家に仕えた「御用またぎ」で、その名を知られた名人でもあった。


辰五郎さんが幼いころ、永助さんはまだ健在で、よく昔の熊狩りの話を聞かされて育ったという。

幕末、佐竹藩はマタギたちの射撃術に目をつけた。

日ごろから鉄砲を扱い慣れたマタギたちは、一般の民兵に比べても頼もしい戦力だった。


夜目が利き、山野を駆け巡ることにも長けていたため、見張りや伝令、隠密行動として重宝されたのである。

藩から給料をもらいながら、狩りに専念する。


獲ったクマのうち、もっとも貴重な胆と毛皮は上納し、肉は村人たちの大切な蛋白源として食べられていた。

阿仁のマタギたちは藩の兵力に組み込まれ、「新組隊」として戊辰戦争で戦功を挙げたとされる。

当時、農民に鉄砲の所持は原則として許されていなかったが、クマの胆や毛皮を上納することを条件に、マタギにだけ特別に使用が認められていたという。

つまりマタギは、ただの猟師ではなく、
山の中で磨かれた力で、時代そのものを支えてきた人たちだったのだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました